原宿クレープ文化の起源と変遷について

ロックンロール・キング!Elvis Presleyが『ドーナッツよりもクレープが最高さ!原宿に行って死ぬほど喰ってみたい!』といったかどうかは分からないが、現在は世界中から観光客が訪れるようになった原宿。
そんな原宿の名物として名高い食べ物の一つに、「クレープ」がある。

 

原宿のクレープは主に竹下通り沿いに店舗を構えているのが特徴で、竹下通りの中央付近にあるブルーベリーハウスと同じく竹下通りの中央付近に位置しているマリオンクレープが原宿クレープ文化の文字通りの「2大勢力」として知られている。

「ブルーベリーハウス」が原宿は竹下通りにクレープ店を開店したのは1977年。

当時は日本国内でケーキ店やホテルのレストランなど限定的な場所でのみ提供されていたフランス料理のクレープを手軽に歩きながら食べる事が出来るように手巻きスタイルで提供した事が話題となりましたが、具材は現在の様にバラエティーに富んでおらず、ジャムと生クリームのみなどシンプルなスタイルだった為に竹下通りに店舗を開店した後もすぐにはお客を大量に呼び込む事はできなかったそう。

そんな「ブルーベリーハウス」が転機を迎えたのは1979年、クレープの中にアイスクリームのトッピングを開始した事がきっかけとなり、「温かいクレープ生地と冷たいアイスクリームの組み合わせ」が開店以来の大きな話題を呼び、「原宿と言えばクレープ」と評されるまでのクレープ文化を確立。

そして原宿のもう一つのクレープ文化のパイオニアである「マリオンクレープ」。
こちらは1976年に原宿ではなく渋谷の公園通りにある駐車場の一角で一台の小さなワゴン車による販売からスタート。
ワゴン車での販売という形式ではあったものの、日本で初めて「手巻き式で歩きながらでも食べやすいスタイルのクレープ」を提供したのも「マリオンクレープ」が最初とされる。
1976年の「マリオンクレープ」による渋谷・公園通りにある駐車場でのクレープのワゴン販売は女性週刊誌などで取り上げられるなど話題を呼び、オープン初年度から一定客のファンを獲得する事となる。

翌1977年には原宿の竹下通りに店舗をオープンした「マリオンクレープ」は、前年度の渋谷・公園通り時代のファン層をそのまま引き継ぐ事に成功し、その後は「マリオンクレープ」の特徴とも言える“ツナ”や“チーズ”などが具材の「甘くないクレープ」も好評を博し、原宿クレープ文化における人気を競合店の「ブルーベリーハウス」と2分するに至る。

現在では“逆輸入”という形で海外のフランスやイギリス、アメリカやタイなどでも日本の手巻き式スタイルのクレープが販売されており、これからもまだまだ原宿のクレープ文化は世界に影響を与える。

原宿から全世界に発信するものは、ワルダ情報のみならず文化やファッション、食に関するまで多岐にわたる。

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